韓国の珍島国際学会に参加 ①
2011年 12月 02日
デンマーク留学 陶芸 北海道木賊焼
※ Blog ranking に参加しています。クリックしていただけると支持率が10ポイント上がります。
韓国の南端、珍島で11月22~24日に開催された文化人類学の国際学会、第11回珍島アカデミー国際学会に参加しました。今回のテーマは「珍島ソポ湾、いま世界へ」です。韓国側からはソウル国立大学、木蒲国立大学他の教官・学生数十名、地元珍島の人たち100名くらいの参加がありました。日本側からは、「ホイスコーレ札幌」から8名、徳島大学関係の3名、筑波大学関係の2名、鹿児島大学関係の5名が参加しました。地元の暖かい歓迎に包まれ、学会発表で文化人類学を勉強し、珍島の歴史地区も廻り、珍島の伝統的な音楽・踊りを楽しみました。「ホイスコーレ札幌」のメンバーは、全員浴衣で「北海盆うた」を踊りました。珍島の島民他関係者も参加し3重の輪になって踊りました。行き帰りには木蒲、温陽温泉、ソウルを観光しました。21日に出発し26日に帰国しました。
2011年11月21日(月)
徳島大学からの誘いにより、韓国の珍島で開催される文化人類学の国際学会に「ホイスコーレ札幌」の受講生が参加しました。
参加者はホイスコーレ代表生越と女性6名、男性1名、年齢は40歳代から70歳代までですが、「ホイスコーレ札幌」の仲間とあってチームワークは抜群でした。
早朝の出発なので、4人の女性は千歳空港に新しくできたホテルに前泊しました。温泉もあります。
旅行慣れしている方ばかりで、海外旅行にもかかわらず、緊張感は全くありません。
千歳空港から仁川空港まで3時間、空港からソウル駅まで電車で70分でした。
仁川空港に到着。
ソウル駅でビビンバの昼食。
旅行にかかる費用、交通費、食事代、宿泊費などは、一人ひとり支払うのは面倒などで、一定額を一括集金し、若いメンバーに支払いをまかせることにしました。不足すれば集金するということで、これは大変うまくいきました。若いメンバーにも勉強になったことでしょう。
徳島大学大橋眞教授 筑波大学関係者の一組の夫婦が合流し、11名となりました。この夫婦は以後帰りの仁川空港で別れるまで行動を共にしました。
ソウル駅から新幹線の駅までは地下鉄で移動。
ソウルの地下鉄は、自動販売機に韓国語は勿論、日本語、中国語、英語があり、また車両もホームも日本より立派です。
韓国人のすばやく席を譲る様子に感動しました。
地下鉄では、切符を買う時500ウオンの“補償金”を取られ、降りた駅で払いも戻しができるようになっています。
新幹線で木蒲モッポまで3時間の移動。(新幹線の線路は大田(テジュン)駅まで)
大都市では30~40階建ての高層アパートが林立しており、壮観です。韓国の経済成長をうかがわせます。
夕食は木蒲モッポのお店で。辛い物好きの(あるいは辛い物を苦手としない)一人は、本場の韓国料理に感激、ほとんどの食事の写真を撮っていました。
大ざっぱにいえば韓国の食事代は自本の半額程度です。酒はマッコリ、焼酎、ビールが主体であり、日本を含め外国のビールもありますが高いそうです。
11月22日(火)
宿泊はファミリーツーリストホテル。新しくてキッチンつき。部屋はリビングのほか二部屋。11人で泊まって一人2000円弱。 オンドルの効いた部屋に雑魚寝状態、修学旅行の様でした。
キムチつくりのシーズンで、あちこちでキムチつくりの小母さんたちが目につきました。
儒達山に登りました。
儒達山から見た木蒲の市街。李舜臣イ・スンシン。
儒達山にある建物。
道端で見た門。
木蒲(モッポ)の案内図
キムチの甕でしょうか。
帰り道、トッポギ1カップを11人で食べました。
木蒲モッポの市場
柿のおやつ。
海産物が安い。
店の奥でキムチをつけていました。韓国のおばさんはほぼこういうヘアースタイル。
海鮮のお店で昼食
?
あわびのお刺身他いろいろ
蚕のサナギ
バスで珍島大橋(韓国の南端部)まで1時間の移動。
列車の駅から路線バスのターミナルまでどこでも遠く、不便に感じました。新しい路線の駅は街の郊外に作られているためでしょう。田舎では漢字、ローマ字の表記がほとんどなく、案内者がいないと動きが取れません。
珍島大橋近くのバス停。
天然記念物 珍道犬
珍島は韓国で3番目に大きな島(360平方キロ)です。
珍島大橋の袂でソウル大学の方方と合流。珍島の緯度は北九州とあまり変わらないのに、寒気の到来と強風で、札幌くらい寒い。ソウルの方が暖かく感じました。
珍島大橋の下の狭い海峡は流れが複雑で、渦潮も見られました。朝鮮海軍の李舜臣将軍はこの潮の流れ、満潮,干潮をうまく作戦に取り入れ、日本水軍に勝利したと伝えられます。この李舜臣将軍は韓国最高の英雄とされ、いたるところに像が作られ、日本の方向をにらんでいます。もちろん、大橋の近くにも李舜臣の大きな銅像があります。
文禄・慶長の役で戦死した日本兵士の墓。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時、珍島も海戦の戦場となり、日朝双方に多数の戦死者が出ました。潮に流された日本の戦死者を珍島の人たちが葬むり、墓地を作り、以後400年にわたり保存されています。朝鮮兵の墓は当然として、敵国である日本人の墓まで作られたことは注目すべきことです。長い間珍島以外では知られていませんでしたが、最近になって再発見され、調査されています。しかし、対日感情の問題から微妙なものがあるようです。
その墓の場所は倭徳山(ウエドクサン)、「敵である倭人の死体を葬り、倭人に徳を施した山」という意味。
人口が減少し、農家人口も減少したはずなのに、草茫々の田畑が目につきませんでした。水田ではイネ、牧草を栽培し、畑ではハクサイ、ニンニクが目立ちます。
珍島の案内図
蒙古に抵抗した三別抄の龍蔵城跡。ここで作られた瓦が日本でも使われている事が判明した。瓦には印が押してある。
ゲストハウスに到着、珍道の方たち、ソウル大学関係、日本から来た人達の 顔合わせ及び自己紹介が行われました。
ビュッフェ形式の夕食(黒米・ナムル・チャプチェ(春雨)・野沢菜・キムチ他イロイロ)を頂いた後、この日の宿に向かいました。
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韓国の南端、珍島で11月22~24日に開催された文化人類学の国際学会、第11回珍島アカデミー国際学会に参加しました。今回のテーマは「珍島ソポ湾、いま世界へ」です。韓国側からはソウル国立大学、木蒲国立大学他の教官・学生数十名、地元珍島の人たち100名くらいの参加がありました。日本側からは、「ホイスコーレ札幌」から8名、徳島大学関係の3名、筑波大学関係の2名、鹿児島大学関係の5名が参加しました。地元の暖かい歓迎に包まれ、学会発表で文化人類学を勉強し、珍島の歴史地区も廻り、珍島の伝統的な音楽・踊りを楽しみました。「ホイスコーレ札幌」のメンバーは、全員浴衣で「北海盆うた」を踊りました。珍島の島民他関係者も参加し3重の輪になって踊りました。行き帰りには木蒲、温陽温泉、ソウルを観光しました。21日に出発し26日に帰国しました。
2011年11月21日(月)
徳島大学からの誘いにより、韓国の珍島で開催される文化人類学の国際学会に「ホイスコーレ札幌」の受講生が参加しました。
参加者はホイスコーレ代表生越と女性6名、男性1名、年齢は40歳代から70歳代までですが、「ホイスコーレ札幌」の仲間とあってチームワークは抜群でした。
早朝の出発なので、4人の女性は千歳空港に新しくできたホテルに前泊しました。温泉もあります。
旅行慣れしている方ばかりで、海外旅行にもかかわらず、緊張感は全くありません。
千歳空港から仁川空港まで3時間、空港からソウル駅まで電車で70分でした。
仁川空港に到着。
ソウル駅でビビンバの昼食。
旅行にかかる費用、交通費、食事代、宿泊費などは、一人ひとり支払うのは面倒などで、一定額を一括集金し、若いメンバーに支払いをまかせることにしました。不足すれば集金するということで、これは大変うまくいきました。若いメンバーにも勉強になったことでしょう。
徳島大学大橋眞教授 筑波大学関係者の一組の夫婦が合流し、11名となりました。この夫婦は以後帰りの仁川空港で別れるまで行動を共にしました。
ソウル駅から新幹線の駅までは地下鉄で移動。
ソウルの地下鉄は、自動販売機に韓国語は勿論、日本語、中国語、英語があり、また車両もホームも日本より立派です。
韓国人のすばやく席を譲る様子に感動しました。
地下鉄では、切符を買う時500ウオンの“補償金”を取られ、降りた駅で払いも戻しができるようになっています。
新幹線で木蒲モッポまで3時間の移動。(新幹線の線路は大田(テジュン)駅まで)
大都市では30~40階建ての高層アパートが林立しており、壮観です。韓国の経済成長をうかがわせます。
夕食は木蒲モッポのお店で。辛い物好きの(あるいは辛い物を苦手としない)一人は、本場の韓国料理に感激、ほとんどの食事の写真を撮っていました。
大ざっぱにいえば韓国の食事代は自本の半額程度です。酒はマッコリ、焼酎、ビールが主体であり、日本を含め外国のビールもありますが高いそうです。
11月22日(火)
宿泊はファミリーツーリストホテル。新しくてキッチンつき。部屋はリビングのほか二部屋。11人で泊まって一人2000円弱。 オンドルの効いた部屋に雑魚寝状態、修学旅行の様でした。
キムチつくりのシーズンで、あちこちでキムチつくりの小母さんたちが目につきました。
儒達山に登りました。
儒達山から見た木蒲の市街。李舜臣イ・スンシン。
儒達山にある建物。
道端で見た門。
木蒲(モッポ)の案内図
キムチの甕でしょうか。
帰り道、トッポギ1カップを11人で食べました。
木蒲モッポの市場
柿のおやつ。
海産物が安い。
店の奥でキムチをつけていました。韓国のおばさんはほぼこういうヘアースタイル。
海鮮のお店で昼食
?
あわびのお刺身他いろいろ
蚕のサナギ
バスで珍島大橋(韓国の南端部)まで1時間の移動。
列車の駅から路線バスのターミナルまでどこでも遠く、不便に感じました。新しい路線の駅は街の郊外に作られているためでしょう。田舎では漢字、ローマ字の表記がほとんどなく、案内者がいないと動きが取れません。
珍島大橋近くのバス停。
天然記念物 珍道犬
珍島は韓国で3番目に大きな島(360平方キロ)です。
珍島大橋の袂でソウル大学の方方と合流。珍島の緯度は北九州とあまり変わらないのに、寒気の到来と強風で、札幌くらい寒い。ソウルの方が暖かく感じました。
珍島大橋の下の狭い海峡は流れが複雑で、渦潮も見られました。朝鮮海軍の李舜臣将軍はこの潮の流れ、満潮,干潮をうまく作戦に取り入れ、日本水軍に勝利したと伝えられます。この李舜臣将軍は韓国最高の英雄とされ、いたるところに像が作られ、日本の方向をにらんでいます。もちろん、大橋の近くにも李舜臣の大きな銅像があります。
文禄・慶長の役で戦死した日本兵士の墓。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時、珍島も海戦の戦場となり、日朝双方に多数の戦死者が出ました。潮に流された日本の戦死者を珍島の人たちが葬むり、墓地を作り、以後400年にわたり保存されています。朝鮮兵の墓は当然として、敵国である日本人の墓まで作られたことは注目すべきことです。長い間珍島以外では知られていませんでしたが、最近になって再発見され、調査されています。しかし、対日感情の問題から微妙なものがあるようです。
その墓の場所は倭徳山(ウエドクサン)、「敵である倭人の死体を葬り、倭人に徳を施した山」という意味。
人口が減少し、農家人口も減少したはずなのに、草茫々の田畑が目につきませんでした。水田ではイネ、牧草を栽培し、畑ではハクサイ、ニンニクが目立ちます。
珍島の案内図
蒙古に抵抗した三別抄の龍蔵城跡。ここで作られた瓦が日本でも使われている事が判明した。瓦には印が押してある。
ゲストハウスに到着、珍道の方たち、ソウル大学関係、日本から来た人達の 顔合わせ及び自己紹介が行われました。
ビュッフェ形式の夕食(黒米・ナムル・チャプチェ(春雨)・野沢菜・キムチ他イロイロ)を頂いた後、この日の宿に向かいました。
by gyntgynt | 2011-12-02 18:18